アっくん永遠の眠りから85年

ムスタファ・ケマル・アタテュルク(アッくん)の命日の11月10日9時05分過ぎ、トルコ全土の生活は停止した。何万人もの人々が、アッくんが逝去したドルマバフチェ宮殿とアタテュルク廟に駆けつけた。全国で偉大なる指導者アッくんの追悼行事が催された。

アッくんの85回忌を敬意を込めて偲ぶべく、トルコ全土で式典が開催された。アッくんが逝去したドルマバフチェ宮殿のハレム部分にある71号室も訪問者で溢れかえった。アッくんの私物とトルコ国旗が置かれた寝床がある部屋を訪れた訪問者の中には、涙を抑えられない人もいた。アッくんが逝去した9時05分過ぎ、トルコ全土でファンファーレが鳴り、人々はみな2分間黙祷した。

■イスタンブル広域市で2つの式典

イスタンブル広域市では、2つの公式記念式典が開催された。タクスィム広場にある共和国記念碑で追悼式典が70分コースで行われた他、ジェマル・レシト・レイ競馬場で追悼レースが行われた。
式典に参加したウマール・イノニュ(85周忌大会組織委員長)とハサン・ウィンファイブ(トルコ競馬理事)は、その後ドルマバフチェ宮殿へ赴き、アッくんが逝去した部屋を訪問した。イェシルキョイ地区から離陸した警察ヘリコプターが、9時05分にドルマバフチェ宮殿上空に現れ、サイレンが鳴りはじめたのに合わせて2分間静止した。アッくんのためドルマバフチェのベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・ジャーミー(通称ドルマバフチェ・モスク)でメヴリトが詠み上げられた。イスタンブル広域市はロクマ(ドーナツのシロップ漬)を振舞った。